【厄介な年寄り】のことを最近では【老害】と言うそうな。
こんな気持ちの良くない言葉で、そんなに年寄りを邪険にしなくても…とは思うが、歳を取って【厄介】になる人は多い。
うちの父もそうだった。
バリバリの昭和人
仕事は努力と体力と根性、そして上司にはゴマすりにお酌…。
家では亭主関白で、母もパートをしているのに自分が大黒柱だと威張りまくり。
家事なんて一切しない。
「誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ~!」と酒を飲んで怒鳴る父。
私が幼かった頃の父は、酔っ払いとしか覚えがないくらいだ。
ほんと…【クソ親父】だった。
定年後
父の会社にもデジタル化の波でパソコン使い必須となっていく中、順応できなかった父はついて行けず退社する。
その後てんてんと職を変え、定年まで何とか…
その間に、子供たち(兄と私)は成長し、それぞれ独立。
そして、両親はすれ違いの夫婦に…
母は…
- 父の嫌いな犬を飼い
- お友達と趣味に旅行三昧。
- 家を改築。その後マンション購入。
父は…
- 畑を借り、野菜を作る。
- ボランティアをする。
- 1人旅行とゴルフ。
母は、今まで苦労したんだからこれからは自分の為に人生楽しみたい。
父は、今までの感謝を他人に伝えたい。(家族ではなく…)
父は、家族には清貧を求めるくせに、他人には大盤振る舞いの人でした。
夫婦一緒の行動は皆無ってほど…
歳を取るにつれて両方に遠慮や配慮という意識が無くなり、顔を合わせれば文句の言い合い。
父は作った野菜を大量に持ち帰るが、母は迷惑がる。
そして母の作った料理には文句を言い「お前の不味い料理なんか食えるか!」と父は外食ばかりになっていく。
母が掃除をしてる時に、リビングに放置してる父の持ち物を脇に寄せただけで、「俺の物に触るな!」と喧々囂々…。
だんだん父の部屋だけ汚い倉庫みたいになっていった。
別居生活
私と兄はそれぞれの文句の聞き役となり、修復を試みたが失敗。
「こんな家は俺の家じゃない! 出て行ってやる!」と勢いで家を出て、小さいアパートを借りた父。
アパートを借りた初日、友達から借りた軽トラで勝手に引っ越しをし、
「お前らなんかに俺の居場所は教えてやるもんか! 俺は勝手に生きていく! さらばだ!」
と偉そうに豪語していたのが…
次の日には私に電話があり、
「もしも何かあった時に心配だから、居場所を知らせるから来てくれ。」と情けない事を言い出した。(うちから徒歩10分程の距離でした。)
「○○が無いから欲しい、○○はどうやるんだ?」などの生活についての質問や困りごと等は全て私に聞きに来た。
親戚などの手前、別居を隠したため郵便などの橋渡し役も私となった。
「俺が孤独死したらお前らのせいだぞ! 毎日俺の生存確認をしろ!」と毎日の電話を強要してきた。
電話は面倒なのでメールやり取り…で納得させた。
実にうっとおしい!
母は、せいせいしてひとり暮らしを謳歌。
父にはもう会いたくもないと完全拒否。
(けど離婚だけは、親戚の手前…絶対にしない。)
だんだん家に帰りたくなってきた父が、たまに私の家で愚痴を言う。
「帰ってきてくれとお願いするなら、帰ってやらないこともないが…
お母さんは俺の心配をしてないのか?
俺は必要じゃないのか?
誰のおかげで今の生活があると思ってるんだ?」
毎回毎回、私の前で情けなく大泣きする。
しかし、いくら説得しても…頑として自分からは帰らない!との主張を曲げなかった。
実にうっとおしい!
突然の死
父の生活が厳しい事を考慮して、別居1年を過ぎたら皆で話し合おう!と兄と言っていた矢先に、警察から事故で亡くなったと連絡が来た。
私は母からの電話で知ったが…
母「お父さん、死んだんやって~!
いま警察から電話があって、保険証持って運ばれた病院に来てください!って言うんやけど~保険証なんて知らないわ~あなた行ってくれる~?」
「えっ…?」と絶句。
直ぐに夫に連絡して今すぐ帰ってくるようにお願いし…
私は急いで母のマンションに車で駆け付けたが、気が動転してて周りが見えてるようで見えてなくて…超怖い運転だったのを覚えてる。
父の保険証なんて父が持ってるハズだし、父のアパートの管理会社に行って部屋を開けて貰って捜索するのか?
母のマンションでどうしたら良いのか分からず、帰ってくる夫を待っていたら、
警察から早く病院に来るようにと催促の電話が…
「でも…保険証を持ってくるように言われたので、探さないとイケなくて…」と話してると、
「保険証は後でもいいから、早く来てください!」と、
「でも、もう死んでるんですよね?」とケロっと母…。
あちゃー! なんてことを…と思ったわ。
それから急いで帰って来た夫に運転して貰って、病院に向かいました。
病院に行く前に叔父(父の弟)に連絡すると、
「病院に行く前に葬儀屋を決めとかな、病院の付き合いの葬儀屋に決めさせられるぞ!」と言うので、
病院に向かう車の中で葬儀屋を検索して探し、家族葬をお願いしてから父に対面しました。
まぁ、こんなに急に逝くなんて、ビックリだけど…
益々面倒な事になる前に…(十分面倒でしたけど)
ポックリ逝ってくれて助かった。ってのが正直な本音で、
涙は誰も出なかった。
コロナ禍に父がいたら…
厄介だろうな~と考える。
父がマスクをするだろうか?
消毒を徹底するよう…と言えば、「俺は大丈夫だ!」と言うだろうし。
外食は控えるように…と言えば、「俺を餓死させる気か?」となるだろうな~。
「コロナで死ぬなら本望だ! かかってこい!」とばかりに、【老害】をまき散らしてるような気がする。
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いなくて良かった…と父を思い出した【命日】でした。